北海道のアマチュア野球について語る
NPO法人北海道野球協議会理事長 柳俊之氏

2008年1月15日号転載 スポーツ報知

[スポーツ人]NPO法人「北海道野球協議会」理事※ 柳俊之さん


北海道のアマ野球活性化について
熱っぽく語る柳さん

 道内のアマ野球団体を統括するNPO法人「北海道野球協議会」ができて今年で9年。同協議会の理事※で元橋戸賞投手・柳俊之さん(60)=日本野球連盟常任理事=は加盟15団体(2008年10月で加盟16団体)の推進役として、アマ野球の発展に全力を注いできた。その活動は第2段階を迎えた。今年から独自に講習会を開き、小、中学生の指導者育成に乗り出していく。

 ―北海道野球協議会ができて9年たちました。
柳「道内のアマ野球活性化を目的に平成12年に誕生、14年にはNPO法人格も取った。この間、各団体と情報交換し、できるだけのことはやってきた。中学硬式野球の交流大会(ジュニアチャンピオンシップ)を開いたのも全国で初。今、野球協議会の活動は第2段階に動こうと考えている」

 ―第2段階?
「今、一番気になっているのは若年層を指導する人の育成です。特に小、中学生の指導者を育てないと次のステップにつながっていかない。高校は独自に講習会を開くなどきちっとやっているが、小中学生は物足りない。これまで講習会も札幌圏中心だったが、これからは地方展開もしていかなくては」

 ―小学校から社会人まで各団体が連携するメリットは
「成長の過程をきちっと次の指導者に受け継いでいけることです。野球協議会では野球手帳の普及に力を入れています」

 ―野球手帳?
「5年前にプランを実現させたのですが、身長、体重やボール投げなどの体力測定、さらに個人のアクシデント(ケガ、病気)などの履歴を載せてもらっている。個人情報の問題もあるのですが、次の指導者にとっては非常に役立つ。今まで約1000部配布したが、今後さらに2000部に普及させたい。協会のホームページでもPRし、協会が体力測定を催してもいい」

 ―アマ野球活性化に大切なことは
「子どもたちが一生涯、野球に携われる形が理想。中学で芽が出たのに高校に入ったら監督と合わないとか仲間とケンカしたとかでやめてしまうのは不本意。野球はプレーヤーだけじゃない。審判員もいる。ケガを治すトレーナーの道もある。プロ野球の公式記録員を目指すことだってできるし、各連盟の役員になって大会運営に携わる方法もある。それが地域の活性化にもつながっていくんです」

 ―アンパイアスクールをつくる構想もあると聞きました
「今年から1年間のサイクルの中で、余裕を持ちながら実技や講座を開きたいと思っている。審判がいいと選手の競技力向上にもつながるんです。何か月も缶詰めにして受講するのは無理だと思うので、2年くらいのスパンの中でいろんなカリキュラムを経験させ、それぞれの団体で活躍してもらう。他の連盟も渡り歩けるようにして、力をつければ中央でジャッジすることもできる。少年野球の審判が甲子園に立つことだって夢ではないんです」

 ―地域ぐるみで野球を盛り上げる方法は
「小中学生のいい体をつくるためには食べることが大事。食育です。北海道にはいいもの(食材)がたくさんある。スーパーで外国産の安いものを買うと防腐剤、化学物質、合成物質など添加物があることが今、嫌な意味で注目されている。自然なものを自然な形で体に必要な栄養素を取り入れていくのがいい。北海道にはその土壌がある“地産地消”に野球界も貢献できるわけです」

 ―柳さんがアマ野球界の発展に尽力しようと思った背景は
「自分の生い立ちで、父親が軟式野球に携わっていました。僕は岩見沢だったから三笠、夕張、美唄など炭坑街で野球を見た。出掛ける時は、ばあさんが作った手製のユニホームを着てね。ボールとバットを持っていくと、ノンプロの選手が “ボク、キャッチボールやるか”と言ってくれる。やってもらったらすごかった。衝撃でした。母親の実家は札幌。札幌まつりの時、中島公園で結成記念大会をやっていて、球場はお客さんでびっしり。オレも野球やるならこんなところでやってみたいと思った。今の子どもたちにもそういう感動を与えてやりたい」

 ―高校、大学時代は
「高校(岩見沢東)の時は3年春の全道4強が最高。その夏は美唄工に地区予選で負けました。大学(芝工大)も2年春にベンチ入りしたのに、その秋に脊髄(せきずい)に腫瘍(しゅよう)ができ、関節が圧迫されて歩けなくなった。北大で手術し、車イス生活。当時は筋肉にメスを入れるということは、選手生活も終わりというイメージがあった。それでも、3年春に大学の寮に戻り、みんなの練習を見てるとオレもやるぞという気になった。野球が本当に好きだった」

 ―ノンプロでは
「昭和46年に都市対抗に初出場、あとは53年まで補強を含めて8年間、都市対抗に出場しました。ずっと野球に携わってきたから、子どもたちに(野球で)いい思いさせてあげたいと思う」

 ―協議会の最終的な目標は
「日本の野球界統一というものがある。IBAの副会長も務める日本野球連盟の松田会長は、アマチュア団体の一本化を提唱している。学生野球協会などがネックにもなっているが、プロも含め野球団体がひとつのピラミッドになるのが理想の形です」

 ◆柳 俊之(やなぎ・としゆき)1947年12月12日、岩見沢生まれ。岩見沢東光中から岩見沢東高に進み、投手として活躍。66年に東都大学野球の芝浦工大に進み、3年秋のリーグ戦で優勝。70年に社会人野球の電電北海道(現NTT北海道)に入部。大黒柱として71年の都市対抗野球に出場。この年、プロ野球西鉄ライオンズ(現西武)から2位指名されるが、拒否。74年に大昭和製紙北海道の補強選手として都市対抗に出場、本道勢初優勝に貢献しMVPの「橋戸賞」を受賞。76年から78年までNTT北海道野球部の選手兼監督。89年のアジア野球大会で全日本のコーチ。現在は日本野球連盟常任理事、センバツ高校野球選考委員も務める。家族は妻と1男1女。札幌市在住。

※2008年1月現在

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